別の記事では、私が激怒したビデオを紹介させていただきましたが、この記事では、老人で、協力隊OBのこのエンリケも思わず涙してしまった動画を紹介します。
なぜ、エンリケは涙したのか?
私が、涙してしまったのは、隊員たちの歌声にまずは、大感動したからです。
現地で、それぞれの国で、直接コミュニケーションをとって、直接顔をみながら、協力活動したい!
しかし、それができずに、日本にいて、悶々とした日々をただ送っているだけという悔しさと悲しさが
私には、ヒシヒシと伝わってきました。そんな状況でも何かできないかと実現したプロジェクトだからです。
それと、同時に、何十年も前の私の協力隊の活動でのお別れ会を思い出してしまったからです。
私は、あまり歌を聞かないし、好きな曲も大変少ないですが、「上を向いて歩こう」と「STAND BY ME」は、古い曲ですが、大好きな曲です。
エンリケの現地での協力隊終了時のお別れ会
私は、歌を歌うのは、苦手ですが、協力隊の活動を終了する際の現地でのお別れ会に、言葉だけでなく、歌を披露したいと選んだのが、「上を向いて歩こう」でした。
2年間も現地生活したにも関わらず、翻訳には、苦労しました。
とても下手な私のスペイン語訳でしたが、とにかく、スペイン語訳で歌いました。
音楽の教員が、電子ピアノで演奏してくれました。
そんな自分の体験とも重なって、思わず涙してしまいました。
コロナ禍のJICAの安全対策とは?
コロナ過のJICAの隊員への安全対策は、とても素晴らしかったと、いまでも、個人的に思っています。
なぜなら、途上国にいますから、たとえば、
- ワクチンがいつ来るかわからない。
- 隊員が、いつワクチンを打てるかわからない。
- 対策をとっている住民の割合が低いので、よりコロナにかかりやすい
- コロナ患者を手当てしてくれる病院が少ない、医療技術も低い
- 外務省が、日本人も含めて日本国内への入国禁止、制限をする可能性
このようなことを、理解していましたから、コロナが本格的に世界中に広がる前に、協力隊員全員を一時、派遣中止、日本国内への退避という処置を取りました。この決定と実行がとても早かったことは、素晴らしかったと、外部から評価しています。
エンリケは、コロナ禍どうしていたの?
私が、コロナ禍でも途上国にとどまって、オンラインで仕事をしていましたが、一番心配していたことが、「一体、いつになったらワクチンがこの国に届いて、自分に打ってもらえるのか?」でした。
日本でも、その時期、なかなかワクチンが輸入されてこないと、大問題でしたが、結局、私の国では、
なかなか届かなく、日本より相当遅れて、国際機関などの寄贈などで、届けてくれるのを待つしかありませんでした。
私が初めて、ワクチンを打ったのは、アストロゼネカでしたが、ユニセフと日本政府の共同の資金による寄贈であることをしったときは、本当にうれしかったです。こんな支援も日本やおこなっていたのですね。コロナ禍で、協力隊の活動は、休止していましたが、日本による国際協力は、コロナ支援という形で、継続していたんです。
コロナ禍の隊員たちの心情は?
このときの隊員の心情を考えると、急に日本国内退避になり、日本国内にいても、外出制限など、何もできず、心がもんもんとした日々を送っておられたと思います。
そんな制約があるなかで、歌声を届けるプロジェクトは、大変すばらしいです。私も感動しました。
では、Youtube 東京新聞 チャンネルが送る動画をご覧ください。
「世界に届け!青年海外協力隊が歌を配信 上を向いて歩こう ~ STAND BY ME」
新型コロナの影響で活動中止を余儀なくされ帰国している青年海外協力隊の有志が、それぞれの国の言葉で「上を向いて歩こう」と「STAND BY ME」を歌う動画を配信しました。 世界を勇気づけようと願う隊員たちの歌声です。
ぜひ、ご覧ください。下記がYouTubeリンクです。